「アン・ジーンのOBOG インタビュー ~想いを語り未来へつなぐ~」(以下、本企画)は、⾧崎大学経済学部山口研究室が企画・運営を担当し、瓊林会のご協力のもと、経済学部OBOG の皆さまに学生時代の思い出や今の経済学部への想い等をインタビューして発信するプロジェクトです。
昨年度、山口研究室は、歴史あるキャンパスの魅力を発掘し、少しでも多くの人に経済学部が身近な場であるように感じてほしいと考え、SNS(⾧崎大学経済学部山口研究室のInstagram, Facebook, X のアカウント)にて「片淵キャンパスの魅力紹介」として全120回におよぶ投稿を実施しました。その取り組みを通して、片淵キャンパスの歴史や自然、先輩方の学部への想い等を実感したと同時に、私たちにバトンをつないでくださったOBOG の皆さまの本校での思い出や学部、現役学生への想い等を広く発信をしていきたいと強く感じました。
そこで、経済学部120 年の歴史を紡いできた皆さまから現在そして未来の学生へバトンをつなぎ、皆さまと学生との間でこれからもより深い関係性を築くこと、言い換えると、「想いを語り未来へつなぐ」ことをコンセプトに、インタビューを実施します。そして、実社会で様々なご経験をされた皆さまの言葉を通して、社会に出る前の学生が大学生活の「今」を一生懸命に生きる励みになったり、将来の人生観を築くのにつながったりと、学生の背中を押す機会を提供できればと考えています。
全4回、動画とテキストでインタビューの内容を紹介しますので、現役の学生をはじめ、多くの方々にご覧いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
第1回「学びはいくつになっても続いていく。」学部28回卒業 有限会社 長崎木装 代表取締役 熊 浩輔氏
~熊浩輔さんのプロフィール~
⾧崎大学経済学部卒(第28 回卒)。1956 年⾧崎市生まれ。⾧崎文化放送勤務などを経て、先代の父から船舶艤装(ぎそう)の会社である 有限会社 ⾧崎木装 を受け継ぐ。2002年に会社を異業種に転換し、⾧与町にて「ながさき医療・福祉・健康タウン ブルーインの森」を立ち上げ、今日に至る。また、今年3 月には、⾧崎大学大学院経済学研究科にて経営学の博士号を取得した。

◇経済学部時代の思い出と学び
アン・ジーン
熊さん、本日はどうぞよろしくお願いします!まずは経済学部時代の熊さんのエピソードや学びについて伺いたいと思います。熊さんは県立長崎南高校ご出身とのことですが、経済学部に入学を決めたきっかけは何だったのでしょうか?
熊さん
高校時代、仲の良い友人が理系に進んだため、私も理系を選択したのですが、後から数Ⅲや物理化学といった「とんでもない環境」に身を置いたことに気づき、浪人を経て文転することになりました。当時、家庭の事情で長崎を出ることが難しかったため、長崎大学経済学部に進学するという形になりました。
アン・ジーン
そうだったのですね。ご入学されてから、当時熱中して取り組まれた活動などはありましたか?
熊さん
実は大学時代はバスケットボール部に所属していたのですが、毎日授業で学校に行くというより、部活のために行っていたって感じでしたね(笑)。実は、私が丁度入学した時期が、体育館ができて1 年目くらいだったんですね。それで、私の1 年上の先輩からバスケ部が再構されて、そこに4 年間身を置いていました。当時のバスケ部はこんな感じで、とても賑やかでしたよ。

当時の経済学部バスケットボール部の様子(画像提供:熊浩輔さん)
アン・ジーン
部活動に熱中されていたのですね!
熊さん
はい。この活動を通じて、OB の方々との繋がり、特に縦の繋がりの価値を非常に感じました。今でも経済学部バスケット部のOB 会⾧を務めており、現役と交流する企画なども立ち上がっています。この長崎大学経済学部の縦の繋がりは、他校にはない、昔から脈々と続いているものだと、同世代の人たちから驚かれますね。
アン・ジーン
何十年も続く部活の繋がりは、なかなかないことですよね。とても興味深いです。熊さん自身、部活に励まれ、その他にも経済学部でたくさんの思い出を作られたと思いますが、印象に残るエピソードはありますか?
熊さん
思い出深いのは、学園祭の「経済祭」で行われた「樽神輿(たるみこし)」ですね。経済学部の各サークルがそれぞれ樽を出して、みんなで担いで浜町まで走って帰ってくるというもので。ちなみに、4 年生は一升瓶を持って樽の上に乗りましたが、今じゃダメでしょうね(笑)。時代を感じますが、懐かしい思い出です。

当時の「樽神輿」の様子(画像提供:熊浩輔さん)
◇社会人でのキャリアチェンジと事業継承
アン・ジーン
そんな学生生活を送られてから、社会人としてどのような進路を歩まれたのでしょうか?
熊さん
私が卒業する時は就職氷河期で、地元に残るには公務員か銀行員の選択肢くらいしかありませんでした。私はメーカーを志望し、最初に三菱長崎機工に就職しました。そこで10年勤めた後、全国的に地方テレビ局が開局していく時期だったこともあり、長崎文化放送(NCC)に中途で入社し、営業や番組制作などに携わりました。その後、三菱重工の協力会社であった父(先代)の事業が、造船の不況で難しくなり、先代が倒れたこともあって、NCC を辞めて家業を継ぐことになりました。そこで業種を転換し、現在の高齢者住宅や医療介護の事業を始めたという経緯です。
アン・ジーン
家業を継ぐ際、造船業から現在の福祉事業への業種転換は、非常に大きな決断だったと思います。どのような思いや苦労がありましたか?
熊さん
家業という意識はありましたが、造船業では立ち行かなくなっていました。しかし、働いている従業員も背負っていますから、彼らの雇用を確保しながら、どう会社を立て直すか、という点に工夫が必要でした。そこで、造船の技術者に福祉の仕事をそのままやってもらうのは難しいため、優良な外注先を見つけて仕事を受け皿として渡しました。造船関係の従業員にはそちらに移ってもらい、その後に我々の新しい事業を立ち上げていく。この二つの動力が切り替わる時に一番厳しかったですね。
アン・ジーン
なるほど。その中で、大切にされたことは何でしょうか?
熊さん
業種転換はしても会社の看板だけは変えませんでした。父の会社名「長崎木装(な
がさきもくそう)」は、船の木の装飾が専門だったことに由来します。今があるのは、造船業の下地があり、支えてくれた過去の従業員さんのおかげですから、その思いを繋ぐためにも、看板は変えずに業種を展開しました。やはり、繋いでいくことの大事さは痛感しましたね。
◇大学院進学のきっかけと「学び続けること」の価値
アン・ジーン
事業経営をされながら、大学院に進学されたと伺いました。そのきっかけは何だったのでしょうか?
熊さん
きっかけは、我々の大先輩であるアサヒビールの福地茂雄さん(元会⾧)に生前お会いしてお話いただいたことです。福地さんが「一生学び続けることの大切さ」についてお話しされて、とても刺激を受けました。経営者として、福地さんのような「素晴らしい先輩方」の背中を見て、「一生学び続けるということを実践しなくてはいけない」という思いが強くなりました。

アン・ジーン
福地さんに背中を押されて研究に励まれたのですね!では、5 年間研究されたことは、具体的にどのようなことだったのですか?
熊さん
私が福祉や介護といった業種にいたため、国の方針・施策と、現場で起こっている実態との乖離に焦点を当てた研究をしました。経営学の文献や古典を引用し、そこに私自身の仮説を論証していくというものです。ただ、院では単に知識だけでなく、もっと根本的に大事なものを学びました。それは、いかに自分が柔軟に経営をやってきたつもりでいながら、思い込みと偏見に満ち溢れていたかということに気づかされたことです。院では一つの物事を多角的に検証することで、自分と違った意見に対しても寛容になり、いろんな側面から評価もできるようになりました。
アン・ジーン
それは実務の世界ではなかなか得られない視点ですよね。
熊さん
そうですね。研究は、学位をもらって終わりではありません。論文では、最後に「研究の課題」を示すように、これから先も研究し続ける姿勢が見えないと学位はいただけません。つまり、学位をもらうことは、研究者としてスタートラインに立てたということなのです。長崎大学の経済学研究科は、先生の指導を受けて添削していけば、ゴールには確実にたどり着ける環境が整っていると思います。利用しない手はないですね。

◇学生へのメッセージ:人と繋がり、勇気をもって一歩踏み出してみること
アン・ジーン
ありがとうございます。最後に、学生生活でモヤモヤしている学生やこれから社会に出る学生の皆さんへ人生のアドバイスをお願いします。
熊さん
私自身も学生時代は、将来の方向性がはっきりしていたわけでもなく、悶々と過ごしていました。ただ、卒業しても、人との繋がりや当時のネットワークはあったので、それが後々自分の助けになったなと思います。今、経済学部の学生として身を置いているなら、同期、先輩、OB など、いろんな機会があると思うので、すぐに何か解決しなくても、とりあえず繋がっておくことは大事です。
また、人生において学び始めるタイミングは必ず決まっているわけではありません。私のように60代で気づく人間もいれば、もっと早く気づく人もいる。とにかく遅すぎることはないんです。
アン・ジーン
では、その気づきを得た時、どうすれば良いでしょうか?
熊さん
そう思った時に、一歩踏み出す勇気と行動が大事かと。一歩踏み出せば、恐らく失敗しますが、反省することができます。その反省が次の力になるんです。とにかく、迷ったら一歩踏み出して反省して次に進む、というリズムの方が進化しやすいと思います。
アン・ジーン
そうですね。人と繋がり、機会があったら挑戦してみる。そして一歩踏み出す勇気が大事ということですね。本日は貴重なお時間の中、ありがとうございました。

<アン・ジーンのあとがき>
熊さんのお話を通して学んだことは、学び続ける姿勢が他の人の人生を変えるきっかけになる、ということです。熊さんが院進を決意されたきっかけは、一生学び続ける大切さを教えてくれた福地茂雄さんとの出会いであり、その後の熊さんの価値観を大きく変えました。そして、そんな熊さんの、経営者でありながら院進されて学び続ける姿勢に、この記事を読んでくれた人をはじめ、きっと誰かの人生を変えるきっかけになっていると思います。時代が変わっても、変わらず力になるのが「学び」であり、それは時として、その周囲の人々さえも前向きに変えていくのだと、今回学びました。
インタビュー実施主体:長崎大学経済学部山口研究室
この研究室では、誰もが豊かに暮らし続けられる地域社会をつくることを目的にしています。地域経済学を基に、学内外で知識の習得から実践にいたる研究活動を展開することで、遠い時間、広い空間、多様な人を想う心と考える頭を持って行動できる人材の育成を目指しています。