(2012年3月11日CBSNブログより転記)
コミュニティビジネススクウェアながさき(CBSN)の西です。
2012年3月11日、東日本大震災発生から一年が経ちました。
お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方の一日も早い復興を願っています。
震災後一年を過ぎましたが、被災地では未だ課題が山積みです。そのような現状をお伝えし、長崎の皆さんに改めて被災地支援を考えてもらう機会を設けたく、先月シンポジウムを開催しました。

2012年2月18日に開催した被災地支援シンポジウム「被災地支援から私達が学ぶべきこと~他人事を自分事に~」の報告をさせていただきます。
はじめに
『「いいこと」が一番怖い』、この言葉に象徴されるように、「いいことをしている」と思い込んでいるボランティアと被災者のニーズとのミスマッチの怖さを、2週間の被災地ボランティア経験で目の当たりにし、被災地支援活動における被災者視点の重要性、他人事を自分事として捉えることの大切さを感じました。そこで今回、被災地でボランティアコーディネーターを務められた映画監督の花堂純次氏、宮城県気仙沼市で福祉施設の支援員をされている伊藤純子氏をお招きし、被災地支援活動から長崎が学ぶべきことというテーマにてシンポジウムを開催しました。
3時間を越える内容すべてを議事録にすると、膨大な量になるため、CBSNの解釈の下、被災地(者)や福祉施設の現状等についてのお話は伊藤純子氏から、ボランティアの現状や課題等については、花堂純次氏のお話を中心にまとめています。また、まとめにはパネルディスカッションの内容等も含んでおり、2週間被災地ボランティアを経験した学生3名の意見、今回のパネルディスカッションのコーディネーターであり、阪神・淡路大震災の際に5年間神戸市長田区の復興に関わった経験のある長崎大学経済学部准教授山口純哉の意見も反映させていただきました。
この文章におけるありうべく過誤はすべてCBSNに属します。
1.被災地・被災者・ボランティアの現状
(1)震災当時
高齢者や障がい者の避難が優先されたために、、彼らが従前の隣人から切り離されるなどして、結果的にコミュニティの崩壊を招き、彼らに必要な支援が行き届かなくなってしまった。また、「みんな、自分が大変な時には、支援が必要な人にやさしくできない」ことから、社会的弱者は平常時よりもさらに厳しい環境にさらされた。さらに、行政の支援では「公平な不平等」が起こり、物資があるにもかかわらず、授産施設では十分な支援を得られなかった。一方で、ボランティアやNPOは行政に比べ融通が利くため、彼らにも迅速に対応した。
(2)震災発生数ヵ月後
被災地は、焼けた船が陸地に鎮座し、津波ですべて流されてしまった状態のところが多い。福祉施設の利用者も職員も被災者という状況の中で、事業所の定員を超えて、津波で被害にあった他の事業所から利用者を受け入れざるを得ない状況だった。震災を機に、就職先から解雇された障がい者もいる。助けてと言えない東北人気質から、ボランティアに頼ることができない被災者や、物を奪い合う被災者、被災度比べをする被災者等、様々な人間の姿があった。被災者も人間で、被災が人間のエゴを露わにしてしまう。
そのような被災者の現状がある中で、自分の欲求を満たすことを第一に考えるモンスターボランティアの存在もあった。自分のスキルを発揮したいだけで被災者のニーズを捉えていないボランティア、仲間づくりのためにきたボランティア等である。自分は良い事をしている、やってあげているという感覚のボランティアが多く、被災者視点をもたない善意の押し付けが被災者の迷惑となることもあった。たとえば、ボランティアによる無料の炊き出しでは、震災当時は必要であったが、必要期間以上に炊き出しを続けることで被災者の雇用を奪い、さらにはもらい癖を生み、被災者の自立を阻害する可能性もある。また、ありがとうと言い続けなければならない被災者と「ありがとう」と言われることの満足感を求めるボランティアとの関係が被災者の精神的なストレスを生む場合もある。
(3)震災から1年を迎えようとする現在
被災地では、瓦礫は撤去されたものの更地になっただけで、復興という意味においては震災後から何も変わっていない。復興への変化を求めるメディアは、何も変わっていない被災地の現状を映し出すことはほとんどなく、メディアでのみ情報を得る怖さを感じた。
震災から1年経とうとする今でも、やはり復興に前向きな被災者と後ろ向きな被災者のどちらもいる。パチンコ店にならぶ被災者も大勢いる。また、支援の狭間で苦しむ被災者(生活弱者)もいる。さらに、復興計画では県と国が市と連携できておらず、結局市民が苦しむ事態になっている。毎日死亡者数、行方不明者数が新聞に載り続けることが未だ現実である。テレビでとり上げられるのは、ほんの一部の被災者にすぎず、まだまだ過酷な現状にある被災者、被災地を忘れてはいけない。
2.復興に向けた課題
(1)被災者
被災者間には、被災状況の違いによる復興への意識の違いがあり、復興計画の合意形成はなかなか進まない。このような現状の中で、雇用、生活、コミュニティの消失等が懸念されていることからも、特に雇用や生活においては、まずは可能な範囲で自立への道を模索することが必要である。
(2)行政
市町村と県・国の連携が最重要課題である。また、生活弱者にも目を向け、民間の支援団体との情報の共有が必要である。
(3)ボランティア
被災者のニーズを第一に考え、「他人事を自分事にする」被災者視点に立った支援をしなければならない。また被災地の復旧、復興度合等、時間経過に合わせた支援、たとえば、被災後数か月がたって、被災者の心の問題が顕在化した際にはその専門家が支援に入る等が必要である。
3.支援の在り方
(1)被災地への支援
各々が「他人事を自分事にする」当事者視点を持ち支援をしなければならない。支援する側としての立ち位置を考え、謙虚に被災地の現実を知る姿勢も重要である。また、被災地の現状を伝えること、「被災地を忘れていない」というメッセージを発信し続けることが私たちにできる支援の1つなのではないか。
(2)阪神・淡路大震災の教訓として
阪神淡路大震災と同様、被災地では、今後さらに震災による被害が拡大し深刻化していく。実は阪神も未だ復興には至っておらず、震災から現在まで600人もの独居死が発生していたり、震災のショック等で障害を抱えてしまった人が多く存在するなど、依然として深刻な問題が残る。ボランティアとしては、何でもリーダーの言う事を聞きロボットになれる人、被災者視点で自ら考え、臨機応変に行動できる人、この2種類が必要なのではないか。
(3)長崎が学ぶこと
私たちが今後の支援について考えるとき、メディアで流れてくるナレーションの情報だけでなく、テレビ画面の映像をつぶさに観察することで足りない支援がわかることもある。重要なのは、こちらから「こんな物必要じゃないですか」と情報を出すこと。メディアを通じてでも足りないものは見えてくるし、自分から情報を出すことでわかることもある。高くアンテナを張り注目することから支援が始まる。
4.結論
被災地支援活動は地域の課題を解決する市民活動の延長線上にあり、「他人事を自分事にする」当事者視点が、被災地支援だけでなく、今後長崎で市民活動をしていく中でも重要である。
さいごに
当日はお忙しい中、学生から市民活動団体の方まで、様々な方においでいただき、ありがとうございました。自らの被災地でのボランティア経験を通して感じたこと、長崎に戻った時の被災地との「温度差」から感じ、考えたこと、そして今回のシンポジウムでの講演等を通して考えたことに共通するのは、やはり「他人事を自分事に」できなければ、被災地で本当に望まれるような支援はできないということでした。
もし自分の身に同じようなことが起きていたなら、どのようなことが必要なのか、刻一刻と関心が薄れ、忘れられてしまうことがどれだけ悲しいのか等、自分事として被災地を想うきっかけとなれば幸いです。
今回講師に来ていただいた花堂純次様、伊藤純子様、並びにシンポジウムにご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。
