昨年、専門ゼミで買い物弱者について研究してきたグループが、そもそも現状把握が甘かったという反省の下、卒研ゼミで振り出しに戻りました(笑)
長崎市の買い物弱者、フードデザート等については、少数ですが定量的な空間情報を用いた先行研究や行政計画が存在します。しかし、それらを参考にしつつも、定性的な情報が欠けるなかで、大ざっぱにいえば、理想-現実=問題→課題・・・において、現実が十分わかってない自分たちが課題について考えるのはおかしい、という結論に達したようです。しかも、シェアした記事にあるように、現状把握に加えて、理想像、つまり長崎市に暮らす人々の一生を具体的にイメージできなければ、いつまでたっても課題にたどり着くことはないということにも気づいたようです。
長崎には「だれもが人間らしく暮らせるまち、それも“長崎に合った暮らしやすさ”を、自分たちでつくっていけるまち」=人間都市というビジョンがあります。ここでいう長崎に合った人間らしい暮らし方とはどういうものなのか、まずは彼らなりに想像する必要がありそうです。
そして、東日本大震災など自然災害からの復興現場でいわれる「はさみ状格差」が、長崎でも発生すると考えられます。たとえば、人口が減少するなかで、平地の市街地に大量のマンションが供給されれば、斜面地がどうなるのか、想像に難くないでしょう。
ちなみに、農林水産政策研究所が平成22年国勢調査に基づいて食料品アクセスマップを推計した際のデータをGoogle Earth上で表示すると、こんな感じになります。水色→茶色へと生鮮品販売店舗まで500m以上の人口割合が高く、今回うかがった赤ピン部の鶴の尾団地は100%となっています。
話は変わりますが、長崎市の立地適正化計画では、商業や医療・福祉などの都市機能について定量的な評価が試みられており、市民の80%をカバーしていることから充足という言葉をもって語られています。このことをとやかくいうつもりはありませんが、残りの20%を忘れない、そもそも80%の定性的な把握にこだわりたいですね。
またまた震災復興の話になりますが、ビートたけしさんもいったように、●人が死亡した災害があったのではなく、1人が死亡した事件が●件あったんだ、と語られることがあります。ウチのゼミ生には、こんなとらえ方を当たり前とする地域人になって欲しいと思います。もちろん私も、長崎市が人間都市として、朝起きてから夜寝るまで、平日と休日、子どもと大人・・・など、市民1人1人の人生やシーンを具体的に描き、共有し、それを市民の1人も置き去りにせずに実現できるよう力を尽くしたいと思います(^^)