(2011年7月13日CBSNブログより転記)
こんにちは。西Yです。
私は6月25日から7月8日まで宮城県気仙沼市にボランティアとして行ってきました。
稚拙な文章ですが、報告させていただきます。
今回、T-ACTプロジェクトに参加させて頂いて、気仙沼で活動することになったのですが、ここに来れて本当によかったと思います。
震災があった日から、メディアで流れる情報を見てはいたのですが、やはり百聞は一見にしかずで画面の前で見ていたのでは、伝わらなかったものに出会うことができました。
まず、よく言われる臭いです。
車から被災地へ降りた瞬間、鼻を突き刺す臭いは強烈で、海の臭い、腐った臭い、油の臭い、ヘドロの臭い、様々な臭いが織り交ざって、被災地を漂っています。マスクをしていなければ、肺や気管をやられてしまうそうです。
気仙沼漁港、打ち上げられた船の前で作業の合間に撮った写真
そして、大量のハエ、しかも親指大ほどの大きなハエです。瓦礫を撤去していても、被災現場を見ていても、現れます。
こちらでは、ペットボトルに砂糖、お酒、塩を入れたもので、ハエ取りをつくっているのですが、2リットルペットボトルの半分まで、ハエで埋め尽くされているのが普通でした。
港近くの住宅街だった場所に置かれたハエ取りペットボトル
それから、自分の目を通して見る、360度被災している状況は胸に来るものがあり、言葉にならないものがありました。もしこれが、自分の住んでいる町だったら、と考えるだけで、どうしようもない虚無感に襲われ、私が被災者だったら、この町にもう一度戻ってこようとは思わないのではないかと感じました。
石巻の様子
しかし、被災者の方は私が考えているよりも強く、前向きなのだということも感じました。
たとえば、瓦礫撤去を依頼されたお宅の方は、ご自身も被災され、家の片づけに追われていながら、私たちボランティアのことを気遣ってくださり、昼食までごちそうしてくださりました。
昼食の間、お話を聞かせていただいたのですが、その方は牡蠣の養殖業をなさっていて、「津波で海がすごく怖く思えるし、憎みたくもなるけども、私たちは海の恩恵を受けて、食べていかなければならないから、ここを離れず、もう一度牡蠣を育てたい。」とおっしゃっていました。牡蠣は育てるのに数年かかるそうで、根気のいるものですが、やはり海に携わる仕事がしたいのだと思います。
宿泊先のご夫婦の友人の方にも、お話を聞かせていただきました。その方は、津波から命からがら着の身着のままで逃げ、自宅は全壊し、避難所から今度仮設住宅へ移るそうです。避難所で生活している中で、「ボランティアに大変感謝しているが、いつまでもお世話になりっぱなしではいけない、今度は恩返しに何か始めなければならない」と思うようになったそうです。そこで仮設住宅に移ってからは仕事を探して自立すると考えられていました。
でも、被災者の中には「無料で生活できるのだからこのままがいい」と一向に自ら動きだそうとしない方もいるそうで、そういう人たちも一緒に頑張っていけるよう、ボランティアもかかわり方を考えなければならないと思いました。
瓦礫撤去を行ったお宅で昼食
帰り際に見たニュースで瓦礫の撤去率が未だ35%なのだと知りました。
4か月経ってもまだ35%なのかと落胆するとともに、直感的に日本国民全員がボランティアに行かなければならないのではと思いました。それは、無理だし、地域の経済や、雇用を考えれば、妥当ではないですが、少なくとも、国民全員が被災地へと関心を持ち、何らかの支援をする必要があるのではないかと思います。募金でも、物資提供でも、雇用を生み出す仕組み作りでもいいと思います。
”被災地のために、自分が何ができるか”を、そしてそれが被災地で望まれているかを考えながら、長崎で支援できることを見つけていこうと思います。
気仙沼漁港の様子
また、機会があれば報告させていただきたいと思います。